人のことはどうでもいい、が正解。
昨晩、ブログの文章を書き終えたあと、心がふっと軽くなるのを感じた。
昨日は朝から心がぎゅーーっとかたくなっていた。心も体も頭もカチコチにかたまっていた。カチコチなので、思考も同じところをぐるぐるしてしまう。同じ視点、同じ感情、同じ結論のループ。
ブログだけではないのですが、自分の素直な感情を言葉にしていったためなのか、心がやわらかくなったのを感じました。
「もう、どうでもいっか」
こんな心境です。
わたしは、わたしの主観で、わたし以外の人の行動を判断していました。
「きっと、こういう行動だったのは、こういう理由だろう」
って、勝手に予想して、勝手に傷ついていた。
でも、人の行動の理由なんて、考えてもわかるわけがない。
本人に確認して、本人が「こういう理由だよ。」って言ったなら、それをそのまま信じるしかない。
それ以上、そのことについて考えるのは、時間の無駄なんですよね。
自分以外の人が、何を考えていて、どんな行動をするかなんて、わかるわけないです。
究極的には、どうでもいい。
それぞれ自分のことでいっぱいいっぱいだし、それぞれ好きに生きているわけで、自分以外の人のことはどうでもいいんです。
それは、ネガティブなことではなくて、むしろ自然で健全なこと。思考や感情は、自分のものですら把握できない。他者のものなら尚更わかるわけがないんです。
わかりたいなら、勝手に予想せず、素直にその人の言葉に耳を傾ける。できるのは、それだけ。
写真は昨晩と同じく、京都御苑のしだれ桜。
独りであること、未熟であること
「独りであること、未熟であること
自由であること、楽観的であること」
ちきりんさんのブログに載っていた言葉。胸に刺さった。
今のわたしには、「自由であること、楽観的であること」よりも、「独りであること、未熟であること」の方が圧倒的にリアル。
人が「独り」であることは、事実である。20代、30代の若者が「未熟」であることも、事実である。
「独り、未熟」の反対は「みんな、成熟」だけれど、ちきりんさんの選んだ言葉は「自由、楽観的」。「自由、楽観的」は、「独り、未熟」を認めた上で、さらに成り立つ。
わたしは「自由であること、楽観的であること」も選べるはずなのに、なぜ選べていないんだろう。自分が「独り」であることに傷ついている。人は皆「独り」なのだから、素直に受け入れてしまえばいいのに。
人は人とわかりあえない。誰かと居ても、言葉を重ねても。家族や夫婦、友人であっても。人はそれぞれが見たい世界を見ているだけ。わたしには、わたしのフィルターを通した世界しか見えていない。相手には、相手のフィルターを通した世界しか見えていない。
だから人は、根本的には「独り」である。
「なんでも話せる」
「困ったら助けてくれる」
これは、勘違いである。
まず、「なんでも話せる」という考えは危険である。
人には、言語化しきれない感情がある。そもそもすべての感情を言語化することはできない。人は潜在意識が96%。言語化できたとしても、人に語ることを前提にした言葉は、その相手への感情を反映している。純粋な自分の言葉ではない。自分の感情を言語化し理解するためには、自分だけの言葉で綴る必要がある。
こういった発信側の事情もあるし、受信側は受信側のフィルターを通すので、「何でも話せる」「何でも理解できる」というのは不可能である。
「困ったら助けてくれる」、という考えが勘違いであることは、実体験で知った。
このブログを読んでいるあなたがしにたいくらいつらいなら、わたしは助けたい。夜中でも電話で話すし、遠くでも新幹線に乗るし、手紙も書くし、気晴らしにも誘う。…それが、自然な感情だと思う。実際、これまでそうしてきた。
でも、わたしがしにたいくらいつらいとき、人は驚くくらいつめたかった。わたしのことよりも、仕事や遊びの方が大事なのだ。人は人を、助けないものらしい。元気なときの遊び相手や役に立つときの利用はするけれど、困っている時には距離を置くのだ。ネガティブな発言を聞きたくないのだろう。「あの人は大丈夫。誰かが何かしてくれるだろう。」と楽観的な解釈をする。小さなSOSのシグナルを、悪意なく黙殺していく。
しにたい人がしにたいって言うわけないじゃん。
しにたいって言えない代わりに、苦しい旨をなんとか伝えようとしても、伝わらない。
伝わらなかったのか、面倒に関わりたくないのか。
「しにたい」って言えた人から、「しにたいって言う人はしなない」って言葉が返ってきた。
「しにたい」は「いきたい」という心の叫びだと思う。でも、「しにたいくらいつらい。苦しい。」のだから、何も大丈夫じゃないよ。
今は希死念慮は落ち着いたけれど、人の無関心に対して、勝手に失望して、勝手に不信感を抱いている。
弱っているときは、判断が狂うものなのかもしれない。わたしが「だれも助けてくれない。」と判断したのは、誤解かもしれない。でも、人の記憶に強く残るのは感情。孤独という感情が、傷を残していった。
人は独りだ。孤独だ。それを受け入れきれないわたしは未熟だ。
それでもわたしは、これまで通り、困っている人がいたら、頼まれもしないお節介をするんだろう。そしてその人が元気になって、わたしがしにたいときに元気に遊んでいたとして、それはそれで喜ばしいことなのである。わたしがしにたくならなければいいし、しにたくなっても自力で回復すればいいのである。
写真は京都御苑の桜。
孤独の原風景
おはようございます。ブログ更新、久しぶりになりました。
「孤独」という感情に襲われることがあります。孤独な状態があったので抜け出すために動いて、しばらく落ち着いていたはずなのに、祖母が亡くなったのをきっかけにまた孤独に襲われるようになりました。孤独の波が去れば落ち着くけれど、波がきている間は苦しいです。
今、目に見えている世界も、過去の世界も、どう解釈するかは自分次第。それは頭ではわかっているつもりなのに、「孤独」というフィルターが消えてくれない。孤独という感情を、消すこと自体にムリがあるのかもしれません。
「苦しい感情にフォーカスせずに、楽しい感情にフォーカスしてみる」という試みもしているのですが、なかなか難しいので、あえて過去の記憶をたどってみました。これは、仮説でしかなくて、もしかしたら他に原因があるのかもしれないです。仮説の一つとして、記しておきます。
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今月法事で両親と話してて、小さい頃の話になりました。
3姉弟の中で、わたしだけ骨折してない。骨折するような、やんちゃな遊び方をしなかったからだと思う。
姉は傷だらけになりながら一輪車に乗れるようになり、大学ではマニュアルの免許を取って仕事で運転もしてた。わたしは一輪車の練習はそもそもせず、自動車はペーパードライバー。
実は、もともとは保守的で安心感を求める性格だったのかもしれない。
10歳での引っ越し・転校がなかったら、高校留学も東京の大学にも興味なく、地元で楽しく平和に過ごしていたんじゃないかって思う。
10歳での引っ越し・転校は、「自分はよそ者だ。素の自分を出しちゃダメだ。」って、自分を全否定するような出来事だった。
小中高といい友だちもできて恵まれていたのに、それなのに、寄る辺のなさ、帰属感の築けなさがつきまとってきた。
ずっと居場所を探していて、外国に行ってみたり、大きな大学に行ってみたりしたけど、大人になっても帰属意識の築き方がわからない。
現実は、素晴らしい出会いに恵まれていて、何かあれば心配してもらっている。
でも、わたしの主観では、孤独。孤独感に襲われてしまう。
わたしの認知が、現実を歪めているって頭でわかるのに。困った。
この話をしたら、「受信するアンテナが折れてる」って言われた。なるほど。アンテナが折れていたら、どんなに愛情いっぱいのストーリーも受信できなくて、画面には砂嵐しか映らない。泣
もっと小さい頃に何かあったのかなー?
小さい頃のエピソードを、いろいろ思い出してみた。
あった。
4、5歳のころ、同じマンションにお姉さんグループがあった。
姉、Yちゃん、Aちゃん、Mちゃんで、わたしだけ年下。
特にYちゃんはやさしくて大好きだった。
でも、Aちゃんははっきり物事を言う子で、
「ゆかちゃん、こんといて。」
って言われた記憶がある。わたしだけ小さすぎて、一緒に遊びたくなかったみたい。
「Aちゃんはいじわるやったね〜笑」って後で笑い話になってるお話で、誰もわるくない。でも、実は幼心に傷ついていたのを思い出した。
一緒に遊びたいから、仲間にいれてもらおうとがんばる。でも、心のどこかで
「一緒にいるけど、本当はわたしに居てほしくないんだな。」
って感じてたんだった。
孤独感の原風景、これなのかなーーー。
そんなことがあって、さらに転校があって、そういう見方を無意識の中で育てていっちゃったのかなーーーー。
アドラー曰く、過去の記憶をどう認識するかは、変えられるそうです。
「4、5歳の自分も、10歳の自分も、一人じゃなかった」ってストーリーに書き換えていけたら、楽になるのかな。
うん。一人じゃなかったことにしてみよう。
長文のややこしいお話、お読みくださってありがとうございました(*_ _)
写真は、京都大原三千院♬の石灯篭とかわいいお地蔵さまたち。
WiMAXのレンタルを試して、Glocalnetが気になってる話。
勝間和代さんが、ブログをココログからはてなブログに移動されましたね!私、勝間和代さんの大ファンです。もう10年近くファンです。
私も以前はココログで、2年前からはてなブログに移っていたのでめちゃくちゃ嬉しいです。
実は数ヶ月前からはてなブログプロに移行するか、wordpressで作るか迷っていて、結局wordpressでブログを新しく作ることにしました。
憧れのwordpressで嬉しいのですが、投稿に慣れません…。はてなブログ、更新しやすいです。そんなところに、勝間さんが嬉々として楽しそうにブログをアップされているので、ついはてなブログを開く回数が増えています。笑
表題のWiMAXレンタル、15日間無料レンタルよかったです!現在iphone7を格安SIMのIIJmioで、月5GBまでのプランです。
WiMAXレンタルは、3日間で10GB以上で速度制限がかかる模様です。
速度の比較。WiMAXは130Mbps。
IIJmioのクーポンオンで24Mbps。クーポンオフで210Kbps。
WiMAX、とってもよかったのですが契約に2年縛りがあります。fuji wifiから契約すると、2年縛りはないようですね。
今は勝間さんオススメのGlocalnetが気になっています。スマホが充電できるのは便利だし、料金プランも安い。あったら便利なので気持ちが揺れています。ぐらぐら。
京都、真如堂の紅葉2017/11/8
いいお天気だったので、真如堂、黒谷さん、法然院、大豊神社へ😊紅葉は色づき始めでした🍁
試みとして、インスタの写真を掲載します。インスタではもっと写真が見れるようになっていますので、よかったら見てみてください☺️
哲学の道では、毛づくろいをする夫婦のような猫がいました🐱💕
居心地のいいカフェも発見できて、いい一日でした😊
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今年も法然院へ。#法然院 #京都 #紅葉 #紅葉2017 #autumnleaves #readleaves #kyototrip2017 #kyoto #もみじ #🍁#noeffect