催眠を受けてきた。

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催眠にいってきた。ヒプノセラピー(催眠療法)ではなく、催眠。

全身の力が抜けて、眠い状態になる。頭の中がしろになる。

その状態になって、「わたしは思考を止めて、楽になりたかったんだ」って思い出して、涙が出てきた。

理不尽に世の中へ放り出した、神さまへの涙でもある。突き放したのに、抱きしめる。奪って、与える。それが神さまだ。

泣いて感情を出して、また催眠のぼんやりした状態へ。

 

そこではどんな感情も出してよくて。

わたしが泣いている理由は言わなくてよくて。

ただ感情に任せて、泣くことができた。

 

催眠状態の解除を行なって終了になるのですが、まだぼんやりしている。


催眠と聞くとあやしいですよね。笑

友だちの紹介で、信頼できる方だと感じたので催眠のこともよくわからないままにいってきました。

どんな感情も肯定していいんだ、と感じられたのがよかった。

 

Photo: 竹田城

あなたはあなたのままで完璧

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「あなたはあなたのままで完璧である。」

 

これが、悩んでいる人に一番伝えたいこと。

 

それなのに、自分自身には、この言葉を言えていない。

 

「わたしはわたしのままで完璧」

 

心からそう感じられたら、どんなに生きやすくなるだろう。

 

人は受容を求め、拒絶を恐れるのだそう。

 

成功を求めるのは、成功すれば、受容されやすくなると考えるから。

 

でも、他者からの受容は、いつも得られるとは限らない。そもそも、自分が自分を受容していないと、他者の言葉が信じられない。

 

「わたしはダメなんだ」

 

という呪いを解くために、

 

「わたしはわたしのままで完璧」

 

この魔法の言葉を唱え続けよう。

 

photo 淀川河川敷 友人撮影の動画より

外面と内面のギャップ

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友人の友人に動画を撮っていただきました。そのキャプチャーがこちらです。

 

ただ歩いているだけなのですが、ちゃんとしたPVっぽく映っているんです。すごい。

 

河川敷で、夕方前の柔らかい光というのがポイントだそうです。

 

その動画を、さらに友人がささっと編集して、MVにしてくれました。すごい。

 

こんな、内面はつかれちゃってネガティブモードでも、動画に映っている自分を見ると「自分って生きてるんだなー」と感慨がわいてきました。

 

うれしくなっちゃって、facebookでシェアもしちゃいました。

 

内面と外面のギャップといいますか。外面は元気そうにリア充っぽいことをしているかのようなfacebookのタイムラインと、現実の自分の内面との乖離に、なぜか凹みました。

 

ただでさえ元気そうに見えるのに、自ら元気そうな映像を発信するという。

 

元気な外面に、沈んだ内面を寄せていけばいいじゃない。

 

そう思うのですが、沈んでる自分を理解されたい自分がいるんですよね。

 

沈んでるネガティブな自分を受容してもらいたい。でも現実としては、人前では普通に振る舞って、弱ってる自分はうまく出せない。

 

人になにも求めずに、自分で自分を癒していければいいのに。少なくとも、自分で自分を受容できるようになろう。

大切なのはお金

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お金に対して、いい距離感がわからなかった。

 

実家はお金に余裕があるわけではなく、節約をしながら生活していた。その中で、教育にお金をかけてくれて、すごく感謝している。

 

ただ、お金がなくなることがこわかった。

 

将来への漠然とした不安がずっとあった。

 

将来お金がなくて、生活していけなくなることがこわかった。

 

大人になり、気づけば、ささやかな生活であればお金への不安を感じずに生活していけるようになった。奇跡のような変化。

 

しかし、なにもわからなくなった。

 

お金のためだけに働かなくてもいいなら、わたしはなにがしたいのだろう?

 

お金というのは消えてなくなる。お金は大切だけれど、すべてではない。

 

そして、いろいろ試してみた。

 

いろいろ試した結果、やっぱりよくわからない。

 

そして結局、こう思う。

 

大切なのはお金だ。

 

お金は目に見える。お金があれば、選択肢が広がる。自由になれる。お金が、あなたの社会活動を可視化する。大切なのは、お金だ。

 

お金お金お金。書いていて、なんともさみしい感じがする。しかし、お金が大切なのは事実で、そこから目を逸らしては生活していけない。

 

お金があれば、行きたい場所へ行ける。

 

自分のお金があれば、自分に自信がもてる。

 

「お金を稼ぐこと」に焦点を合わせれば、それに向けた行動は明確になる。

 

お金と向き合う。お金から逃げない。そんな風に過ごしてみたい。

 

photo: 京都 大原 三千院

人の価値観に迎合するな

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憧れの人、影響を受けた人、好きな人

 

そんな人、いますよね。

 

そうすると、その人に好かれたくなる。認められたくなる。喜ばせたくなる。その人のようになりたくなる。

 

それは、向上するきっかけになる。「学ぶはまねぶ」と言います。真似から入って、憧れの人に近づく努力をするのは学習の最短ルート。

 

しかし、大切なのは、「自分の頭で考えながら」「自分の価値観を大切にしながら」「自分のために」であること。

 

あの人に好かれたい

 

あの人に認められたい

 

あの人を喜ばせたい

 

あの人に近づきたい

 

価値観の軸が他者にあると、あなたはいつまでも満たされなくなる。人の行動に反応するだけになってしまう。それは、人生の主体性の放棄である。

 

その人に好かれたいのはなぜ?

 

その人に認められたいのはなぜ?

 

その人を喜ばせたいのはなぜ?

 

その人に近づきたいのはなぜ?

 

そうやって、自分自身に問いかけてみると、自分の想いが見えてくるかもしれない。大事なのは、「自分」に軸を置いて行動することだ。そして覚えておいてほしい。

 

自分を大好きでいてあげられるのは自分。

 

認めてあげられるのも自分。

 

喜せてあげられるのも自分。

 

あなたは、あなたのままで尊い

 

他者の価値観に、迎合するな。価値観の相違に、傷つかなくていい。そっと目を閉じ、耳を塞ぎ、背中を向けて離れればいい。

 

大切なのは、あなたのままでいること。

 

Photo: 京都 大原 三千院

なぜ人に期待してしまうのか?

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人に失望するのは、期待をしてしまうから。

 

なぜ期待してしまうのだろう。

 

やさしい、親しい、気持ちが通じ合えている

 

そんな幻想を抱くところから、期待は始まる。

 

そして、期待外れと気付いたときに、勝手に失望をする。

 

客観的に見れば、滑稽である。

 

人は人の期待に応えない。

 

まず、人は人の気持ちがわからない。

 

さらに、人は人の気持ちに気づいたとしても、その期待に応える必要はないのである。

 

逆にいうと、あなたもあなたに対する周りの期待に応えなくていい。

 

人に失望する人は、きっと人の期待に応えようと一生懸命努力してきたんだろう。

 

だからこそ、期待に応えない人の出現に、戸惑い傷つくのである。

 

人は人の期待に応えない。

 

あなたも、人の期待に応えようとしなくていい。

 

このことが認められれば、失望感は消えるだろうか。もっと楽に生きられるようになるだろうか。どうかなりますように。

 

Photo: 京都・神宮道・鴨東運河

あなたのこだわりを大切にしていい

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人にとってはどうでもいいようなことが、あなたにとってはすごく大切な場合がある。

 

たとえば、あなたにとっては大切なことを、だれかが悪意なく踏みにじったとする。

 

そうすると、あなたの心は傷つく。

 

あなたの中の冷静な部分は、その傷を、なかったことにしようとする。

 

「世の中の人にとってはどうでもいいことだから」

 

「わたしはこんなに恵まれているんだから」

 

そうやって、自分の感情を消し去ろうとする。

 

それでも、傷は消えてくれなくて、ふとした瞬間にまた姿をあらわす。

 

もう、認めるしかない。

 

わたしは傷ついたんだ。

 

他の人にとってはどうでもいいポイントで、人には理解されないわたしだけのこだわりで、傷ついたんだ。

 

そうやって、認めるところから、癒しのプロセスが始まる。存在を認めない限り、癒すことはできないのだ。

 

あなたのこだわりを大切にできるのは、あなただけだ。そこに、他の人の価値観はいらない。あなただけのこだわりを、愛おしんで、守ってほしい。他者に強制はできないけれど、言葉にして希望を伝えてもいいし、難しければそっと距離を置いてもいい。あなたのこだわりを守ることと、この世界で人と生きていくことは、両立できるはず。

 

photo: 京都御苑の里桜。