孤独の原風景

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おはようございます。ブログ更新、久しぶりになりました。

 

「孤独」という感情に襲われることがあります。孤独な状態があったので抜け出すために動いて、しばらく落ち着いていたはずなのに、祖母が亡くなったのをきっかけにまた孤独に襲われるようになりました。孤独の波が去れば落ち着くけれど、波がきている間は苦しいです。

 

今、目に見えている世界も、過去の世界も、どう解釈するかは自分次第。それは頭ではわかっているつもりなのに、「孤独」というフィルターが消えてくれない。孤独という感情を、消すこと自体にムリがあるのかもしれません。

 

「苦しい感情にフォーカスせずに、楽しい感情にフォーカスしてみる」という試みもしているのですが、なかなか難しいので、あえて過去の記憶をたどってみました。これは、仮説でしかなくて、もしかしたら他に原因があるのかもしれないです。仮説の一つとして、記しておきます。


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今月法事で両親と話してて、小さい頃の話になりました。

 


3姉弟の中で、わたしだけ骨折してない。骨折するような、やんちゃな遊び方をしなかったからだと思う。

 


姉は傷だらけになりながら一輪車に乗れるようになり、大学ではマニュアルの免許を取って仕事で運転もしてた。わたしは一輪車の練習はそもそもせず、自動車はペーパードライバー。

 


実は、もともとは保守的で安心感を求める性格だったのかもしれない。

 


10歳での引っ越し・転校がなかったら、高校留学も東京の大学にも興味なく、地元で楽しく平和に過ごしていたんじゃないかって思う。

 


10歳での引っ越し・転校は、「自分はよそ者だ。素の自分を出しちゃダメだ。」って、自分を全否定するような出来事だった。

 


小中高といい友だちもできて恵まれていたのに、それなのに、寄る辺のなさ、帰属感の築けなさがつきまとってきた。

ずっと居場所を探していて、外国に行ってみたり、大きな大学に行ってみたりしたけど、大人になっても帰属意識の築き方がわからない。

 


現実は、素晴らしい出会いに恵まれていて、何かあれば心配してもらっている。

 


でも、わたしの主観では、孤独。孤独感に襲われてしまう。

わたしの認知が、現実を歪めているって頭でわかるのに。困った。

 


この話をしたら、「受信するアンテナが折れてる」って言われた。なるほど。アンテナが折れていたら、どんなに愛情いっぱいのストーリーも受信できなくて、画面には砂嵐しか映らない。泣

 


もっと小さい頃に何かあったのかなー?

 


小さい頃のエピソードを、いろいろ思い出してみた。

 


あった。

 


4、5歳のころ、同じマンションにお姉さんグループがあった。

 


姉、Yちゃん、Aちゃん、Mちゃんで、わたしだけ年下。

特にYちゃんはやさしくて大好きだった。

 


でも、Aちゃんははっきり物事を言う子で、

 


「ゆかちゃん、こんといて。」

 


って言われた記憶がある。わたしだけ小さすぎて、一緒に遊びたくなかったみたい。

 


「Aちゃんはいじわるやったね〜笑」って後で笑い話になってるお話で、誰もわるくない。でも、実は幼心に傷ついていたのを思い出した。

 


一緒に遊びたいから、仲間にいれてもらおうとがんばる。でも、心のどこかで

 


「一緒にいるけど、本当はわたしに居てほしくないんだな。」

 


って感じてたんだった。

 


孤独感の原風景、これなのかなーーー。

 


そんなことがあって、さらに転校があって、そういう見方を無意識の中で育てていっちゃったのかなーーーー。

 


アドラー曰く、過去の記憶をどう認識するかは、変えられるそうです。

「4、5歳の自分も、10歳の自分も、一人じゃなかった」ってストーリーに書き換えていけたら、楽になるのかな。

うん。一人じゃなかったことにしてみよう。

 


長文のややこしいお話、お読みくださってありがとうございました(*_ _)

 


写真は、京都大原三千院♬の石灯篭とかわいいお地蔵さまたち。